アイデンティティ 7

何億、何十億の人周がいたって、同じものは一つもないのです。


だから、警察などではこれが決め手になり、ビシリ判ってしまうのです。


最近では、コンピューターを導入して科学的に調べていますので、動かない証拠として使われているようです。


人間はオギャアと生まれてきたら、一人一人皆んな黒ハった存在であり、人生は一回限りのその人だけのものなのです。


お釈迦様は、お生まれになったとき、裸のまま、前に七歩、お歩きになって、天を指差し、地を指差して「天上天下唯我独尊」とおっしゃったということです。

アイデンティティ 6

大体、人間は得手、不得手があるものです。


学校では、数学などできなくてもいいんです。


英語などできなくてもいいんです。


何もできなくもいいんです。


そういう子供は、手先が器用であったり、心が雨しかったり、人間として、立派な人が、沢山おります。


ろくろを回して作品を焼きものにすると、非常にうまい子どもがいます。


あるいはコックになってラィスカレーをつくったり、女の子が人形づくりをしたり、実にうまい子どもがいます。


子どもには、個性というものがございますから、何か、そのもっている得手というものがあるはずなんです。


皆さんは指紋というものを、ご存知でしょうが、これは、一人一人ちがうのです。


アイデンティティ 5

自己を知る青年このように、暴走族になるのも、非行を起すのも、そうすることによって、自分というものを探しているのです。


何が自分にいちばん適しているか、一所懸命、子どもは悪戦酢闘をして自分に向いているものを見つけようとして苦労しているのです。


それなのに、親は一方的に決めてしまって、高等学校へ行って、大学へ行って、それもなるべくいい大学へ行って、そして、繭流の会社へ入るように、子どもに対する路線を勝手に親が決めて、そして、子どもに期待をかけていろのです。


だから、子どもにとってはほんとうに辛いことです。


親は、もう少し、きめ細かに子供と相談にのってやれることがだいじであり、お前に、何がいちばん向いているのだろうかと、相互に活しあって、子供の個性、子供の得手、お得意はなんだろうか、ということを一緒になって考えてくれる親であるなら子供は決して不良にはならないのです。


アイデンティティ 4

人間は青年期の過程を一度くぐらなければなりません。


一度そこをくぐらないと大人になれないのです。


会場の皆さんは誰でもそこをくぐってきたのです。


なかには暴走旋になる高校生などもおりますが、あれは、まだ自分が何をしているのか解っていないのですね。


彼らは高等学使へ行って、机に坐って勉強してみるが、今の高等学校の学習内容は、非常に程度が高くて、よく理解できない。


そこで「こんな所へ坐って、チンプン・カンプン、何も解らないことを聞いているのが、自分だろうか」「どうも違う。


僕のいるところではない」というのでバイクに乗る。


バイクに乗ると、ブルブル、ブルブル震えるので、「これがいちばん自分に向いている」「僕はこれが好きだ」「いちばん、自分にむいている」、バイクに乗っているときが、いちばん、気もちが安定しています。

アイデンティティ 3

自分の力、自分は何にむいて、何にむかないかということを、だんだん気付くようになります。


これがだいじなことなんですね、つまり日本語では自己同一性とか主体性とか訳しているけれど、アメリカで今、流行の言葉にアイデンティティ、つまり「自分とは何であるか」ということを知ることなんです。


「自分は何に向いて、何に向かないか」「自分は何だろう」そのように、ものを総合的につかもうとするのです。


つまり、幼稚園、小学校、中学校までは漠然と皆んながやるようにやってきたけれども、高校から大学にかけては、一体自分は何に向いて、どういうふうに暮していったらよいか、ということを当然考えるようになるのです。


女の子でもそうですね、「わたしは、主婦惇業」になろうか、それとも二生職業婦人で仕事をもとうか」何か自分の生き方を考えるようになりますね。

アイデンティティ 2

親は、子どもに頼むんですね「今時、高校も出ないでどうするんだ。近所に顔むけができない」「なんとか高校だけは行っておくれ」と。


すると子どもの方は「なら、バイクを買ってくれるか」親は即座に「うん」「それじゃ、行こう」なんてことで、いっています。


また、大学もそうです。


「僕は大学など行きたくないんだ、何も大学なんかへ行ってまでも勉強をしたくないんだ」。


親は「でもね、今時、この町だって、大学へ行かないのはいないんだから、どこの大堂、でもいいから行っといで」。


「何大学の何んでもいいから、行っておくれ」すると、やっばり「それじゃ自動車買ってくれるか」「うん買ってやるから」というので大学へ行く。


このような青年も、反省して自分を知るようになります。


アイデンティティ 1

成長の第四段階は青年期です。つまり高校、大学の時代でした。


高校から大学になりますと、子どもは精神的、身体的に成熟し自分というものを反省すろようになります。


自分の力の足りなさ、不完全さに気がつきます。


高校生になりますと、親よりも、子ども本人が、いちばんよく知っているのではないでしょうか。


自分は本当は勉強に向かないということを、親は非常に期待していますけれど^^


ともかく、子どもが高校へ、毎日通っているので、何かやっているのだろうと思いますけれど、その高校、大学へいっている子ども自身は「本当は、自分は勉強とか学閻にはむいていない」「本当はこんなところ(高校、大学)へ来るべきではなかったんだ」ということをよく知っているんだと思うんです。

こどもについて その8

その他、青年更年期には、頭痛、じんましん、ぜんそく、胃腸障害、どもり、ノイローゼなど、いろいろの症状が現われてまいります。

この時期には単なる自律神経の失調がおこりやすいということのほかに、情緒的にも不安定で、精神病などもおこりやすいことがよく知られているとおりです。

この青年更年期は同時に性的に問題がおこる時期で、二次性徴という大きな変化があらわれます。

性ホルモンの出方はきわめて旺盛になり、男の子では寝ていて精液がとび出す(夢精)ことさえおこります。

たけのこが芽をふき出したように、ニキビもとび出してきます。

この性ホルモンはこの時期の子どもの情動を動かし、いらいらした感情にかりたてたり、異性に対する夢をあたえたり、また環境に対する攻撃的行動へと導きます。エグゼクティブトレードによると、不安定な情動は、ついに自殺にさえ導くのです。

このように心身が緊張し、不安定でいろいろの混乱をおこしやすい状態が、青年更年期すなわち青年思春期の実態なのです。

こどもについて その7

心臓血管の問題で、もう一つきわめて大切なことをつけ加えておきます。

はじめに、7~8歳から心臓血管の発達が著しくなり、思春期になって急に増大し拡大してゆくことをのべました。

また小児のリューマチは、心臓血管系の障害が最も大きな問題で、しかもリューマチ性心臓炎の発病は7~10歳が最高率をしめ、死亡率の点では10歳~16、7歳が最高率を占めているとのべました。

しかし幸いなことに、早期診断・治療・再発予防などの方法が確立されましたので、近年ではほとんどみられなくなったことをつけ加えておきます。

つまり、心臓・血管系の変化のときが、リューマチ性心臓炎による死亡率の最高のときであることを再認識していただきたいのです。

いろいろの現象は先ほどからのべている理論どおりにおこっていることに注意をしていただきたいと思います。

こどもについて その6

思春期には種々身体的な変調、つまり更年期症状が現われます。

とくに心臓・血管系統はこの時期に大きく変化します。

これは0・Dの問題だけでなく、女性ではことに手足の血液循環の障害からうっ血してチアノーゼにみえたり、しもやけになりやすかったりします。

また貧血がよくおこりますが、これはからだの発達が著しくすすみ、心臓・血管系も拡大されるにかかわらず、血液をつくる機能がそれに伴わないためだと考えられています。

萎黄病というのは、年ごろの娘さんに現われる鉄欠乏による貧血です。

アーカイブ

2011:08 2011:07 2011:06 2011:05 2011:04 2011:03 2011:02 2011:01 2010:12 2010:11 2010:10 2010:09 2010:08 2010:07 2010:06 2010:05 2010:04 2010:03 2010:02 2010:01 2009:12 2009:11 2009:10 2009:09 2009:08 2009:07 2009:06 2009:03 2009:02 2009:01 2008:11 2008:10 2008:07

管理人のお気に入り